47.伝説の空手家!中野直也



※この物語に登場する組織やルールは架空のものであり、実在する組織とは無関係のフィクション作品です。 ※この物語の舞台は、実世界におけるITUやJTUが存在しない、完全にオリジナルな異世界です。ここではトライアスロンは独自の歴史と発展を遂げ、従来の枠にとらわれない革新的な競技となりました。その結果、最高権威を持つ組織して誕生したのが「インフィニティ・トライアスロン・フェデレーション(ITF)」です。ITFは、自由な装備選択や革新的なルールを推進することで、選手たちが個性と戦略を存分に発揮できる環境を提供し、この世界におけるトライアスロン競技の基盤となっています。


登場人物紹介

  • 近江 海(おうみ うみ) チーム「TRY REX」のリーダー。介護福祉士。あの夏の夜以来、唯コーチを強く意識しており、トライアスロンへの情熱も一層燃え上がっている。
  • 中野 直也(なかの なおや) 元空手道全国大会優勝者。“秒殺”の伝説を持つチームのムードメーカー。豪快な言動とは裏腹に、仲間を守るという強い信念を持つ。
  • 糸川 陽子(いとかわ ようこ) 会社事務員。“努力の天才”と呼ばれる心優しいメンバー。「島の国トライアスロン」でのトップ選手の激闘に感動し、練習への意欲を新たにしている。
  • 速水 唯(はやみ ゆい) 元学生水泳全国大会無敗の伝説を持つ美人コーチ。明るい笑顔と的確な指導でチームを導く。最近、リーダーである海へ特別な視線を向けることが増えた。
  • 植田 亮一(うえだ りょういち) スポーツメーカー「ファルコンスポーツ」の天才技術者。常にタブレットでデータを収集・分析する理論派。チームの活動を科学的見地からサポートする。


ーーーーーーーーーーーーーー 本編 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「島の国トライアスロン」の熱狂から2週間が経ちました。

アスファルトを焦がした真夏の日差しは和らいできて、夜には虫が鳴き出しました。

僕たちには、あの激闘の光景と「来年こそは」という思いがより強く残っていました。

そして僕の心には、もう一つの思いが残っていました。


あの夜、民宿のテラスで唯コーチと話した何気ない会話・・・


今も僕の記憶に鮮明に残っていました。



その日の夜、僕たちチームTRY REXは、市内の臨海公園に集まった。海沿いに整備されたこの公園は、夜は人通りも少なく、僕たちの格好の練習場所だ。

中野「よっしゃあ!今夜も夜風を切り裂いて、俺様の伝説に新たな1ページを刻んでやるぜぇえええええええ!」

いつものようにテンションMAXなのは、伝説の元空手日本一、中野直也だ。黒のTシャツと、彼の筋肉質な脚を強調する黒のハーフスパッツ姿で、準備運動から相変わらず気合が入っている。

糸川「中野さん、今日も元気いっぱいですね。でも、飛ばしすぎは禁物ですよ」

白いパーカーに白の短パン姿の糸川さんが、ふんわりとした笑顔で中野の話している。彼女の存在は、暴走しがちな中野の絶妙なブレーキ役だ。

唯コーチ「はーい!今日のメニューは10kmのビルドアップ走です!最初の5kmはゆっくり、後半に向けて少しずつペースアップします!はーい、無理は禁物ですよ〜!」

植田「各々の心拍数とペースの相関データをリアルタイムでモニタリングします。各自、限界値を超えないよう自己管理をして下さい。はい!」

Tシャツにややダボっとした短パン姿の植田さんが、いつものタブレットと腕のファルコン製GPSウォッチを操作しながら、いつもの堅苦しい口調で言う。

僕も白いTシャツに青のショートスパッツという格好でストレッチをしながら準備体操をする。職業も年齢もバラバラな僕たちが、価値観が同じ一つの目標に向かって集つまる、この雰囲気がすごくいい。

海「よし、行こうか!」

僕の掛け声で、5人は夜の公園へと走り出した。



白色のタンクトップにターコイズ色の短いランパン姿の唯コーチが笑顔で指示を出している。

あの夜以来、彼女と二人きりになるのは少し照れくさいが、コーチとしての彼女は本当に頼もしく見えた。少し意識しすぎか・・・

潮風が心地よく、遠くの工場夜景がすごく綺麗だがランニング、序盤は談笑しながらのリラックスペースで走る。

中野のしょうもないギャグに糸川さんが笑い、唯コーチがツッコミを入れる。

唯コーチ「はいは〜い!、口じゃなくて足を動かして下さ〜い!」

植田さんは黙々と走りながらも、時折僕たちの会話のデータを取っているかのように冷静に僕らを見ている。僕も唯コーチと当たり障りのない会話をする。


10kmを走り終え、公園の隅にある自販機の前でクールダウンする。

汗だくの体に、冷たいスポーツドリンクを飲んでリラックスをする。

中野「くぅ〜!やっぱ練習の後のスポーツドリンクは最高だぜ!細胞の一つ一つに染み渡るぜ!!」

中野がペットボトルのスポーツドリンクを飲み終えると少し離れた自販機のゴミ箱にペットボトルを捨てに歩いて行った・・

植田「皆さん、お疲れ様でした。データ上、特に海さんと糸川さんの心肺機能の向上が顕著です。素晴らしい結果です。はい」

植田さんがタブレットのグラフを見せながら解説する。そんな和やかな空気が流れていた、その時だった・・・

男「よぉ、楽しそうじゃねえか」

不意に、低く威圧的な声をかけられた・・・ 振り返ると、4人組の男たちが僕たちを取り囲むように立っていた。歳は僕たちより少し若そうだが、ガタイが良く、服装も乱れている。リーダー格らしき男の手には、飲みかけの缶チューハイ。アルコールの匂いがしていた・・・

リーダー格の男が、唯コーチと糸川さんを見ている。

男「へぇ、いい女連れてんじゃん。こんな夜に、こんな恰好で。俺たちと遊ばねえ?」

その下品な視線に、僕の体はこわばっていく・・・植田さんは僕の後ろに下がり、糸川さんは怖がるように僕の服の裾を掴んでいる。

植田「これは、面倒いことになりそうですね・・・」

海「そうだな・・」

唯コーチは、わりと堂々としている・・さすが水泳日本一・・・ちょっと違うけど・・

そして僕が一歩前に出ようとした、その時・・・

中野「おいおいおい、何やってんだよ〜」

甲高い声・・中野だった・・

さっきまでの陽気な雰囲気はなかったがそのふざけた喋り方は健在だった・・・

中野「俺の仲間に、何か用か??」

リーダー格の男は一瞬怯んだが、仲間の手前、引けないらしい。缶チューハイを地面に叩きつけ・・・

男「あぁ?んだてめぇ。やんのか?」

仲間の一人が呼応し、中野にいきなり殴りかかる。素早く重い拳が来るのがわかった・・

僕は「危ない!」と叫びそうになった。 しかし、次の瞬間、信じられない光景が目の前で繰り広げられた。

中野は、殴りかかってきた男の拳を、全く動じることなく、ただスッと差し出した左の手のひらで正面から受け止めた!

「パンッ!」

乾いた、それでいて重い破裂音が夜の公園に響いた・・・。

 男の全力の拳が、まるで分厚い鉄板にめり込んだかのように、中野の手のひらでピッタと止まった。

海「ええ!!」

殴った男自身が、信じられないという表情で目を見開いている・・

中野は受け止めた相手の腕を掴むと、その力を利用するように軽く引き寄せ、体勢を崩させる。

がら空きになった”みぞおち”に、もう片方の右の掌底を、静かに、しかし深く打ち込んだ・・・

男「ぐっ……!」

声にならない呻きを上げ、男はその場に崩れ落ちた・・・


ピクリとも動かない。あまりに一瞬の、そしてあまりに静かな光景だった。


男「て、てめぇ・・・!」

仲間がやられたことに逆上したリーダー格の男が、懐から何かを取り出す。月明かりに反射してキラリと光る。カッターナイフだ。

男「遊びじゃすまねえぞ、コラァ!!」

ナイフを振りかざし、男が突進してきた!

唯コーチと糸川さんの悲鳴が聞こえた・・・僕も植田さんも、金縛りにあったように動けない。だが・・・

中野は冷静だった・・・彼の空気が一変する。

それは「武道家」の気配だった。

中野「遊びは、そっちだろ!」

中野の姿が、ふっと消えたように見えた。 次の瞬間、彼はナイフを振りかぶった男の懐に潜り込み、その手首を寸分の狂いもなく掴み上げていた。

男「ぎゃっ!?」

男の腕が、ありえない方向に捻じ曲げられる。

カラン、と乾いた音を立ててナイフが地面に落ちた。

中野はそのまま男の体を崩し、地面に押さえつける。

低い声で言い放った・・・

中野「忙しいんだ俺たちは、さっさとどっか行ってくれ」

男たちは、這うようにして仲間を抱え、闇の中へと消えていった。

静寂が戻った公園・・

僕も、唯コーチも、糸川さんも、植田さんも、ただ呆然と中野を見つめていた。

これが、「秒殺優勝」の伝説を持つ男・・・中野直也の本当の姿か・・強いな・・・

 今まで、彼の「元空手日本一」という経歴を、すごいとは思いつつも、過去の栄光のように捉えていたが実際に見ると凄さが伝わった。

これは、もう次元が違うな。圧倒的な、絶対的な「勝ち方」だった。

最初に口を開いたのは、植田さんだった。

植田「驚異的です。人体の急所に対する精密な打撃と、運動エネルギーと衝撃力のベクトル変換です。相手の攻撃動作の予測と、それに対する最適化された回避行動・・・全てが、私のデータ予測を遥かに超えていますね。はい。これは・・・もう芸術です。はい」


興奮気味に早口で語る植田さんの言葉に、僕もようやく話しだした。

海「中野・・すごい、とは聞いてたけど・・」

僕が言うと、中野は気まずそうに頭をガシガシと掻いた。

中野「はは・・まあ、大したことねえよ。ちょっと脅かしただけだ」

糸川さんが、まだ少し震える声でお礼を言う。

糸川「ありがとうございました、中野さん」

唯コーチも、ほっとした表情で感心したように言った。

唯コーチ「助かったわ、中野さん。あんなに強いんだ。もうびっくりしました」

中野「はいはい、もう終わり悪者はいなくなったからね〜・・・」





帰りの車の中で僕は、ずっと気になっていたことを、意を決して尋ねてみた。

海「なあ、中野。なんで・・もう空手をやらないんだ?あんなに強いのに」

僕の問いに、車内の全員が中野に視線を向けた。

 中野はしばらく黙って前を向いたまま運転していたが、やがて、ポツリと話だした。

中野「はっはっは!強くなりすぎちまったんだよ」

その声には、いつもの豪快さはあまり感じられない。

中野「高校で全国優勝して、その後も何連覇かした。だけど気づいた時には、試合がただの作業になってた。相手を、どうやって最短で倒すか・・それしか考えられなくなっちまってな。ある試合で、相手の選手に再起不能になるかもしれねえ大怪我をさせちまったんだ」

中野は、ハンドルを握りながら話す。

中野「その時、虚しくなった。俺が求めてたのは、こんなもんじゃなかったんだ。この拳は、誰かを傷つけるためにあるんじゃねえ。大切な仲間を、守るためにあるべきだと思った。だから、全部捨てたんだ」

彼の言った言葉に、僕は言葉を失った。ただ強いだけじゃない。その強さ故の苦悩と、優しさが、彼の中にはあったのだ。

中野「はっはっは〜トライアスロンはいいよな」

中野は、笑って続けた。

中野「敵は、他の選手じゃねえ。コースでもねえ。弱い自分自身だ。自分との戦いには、終わりがねえからな。それが、今の俺にはちょうどいいんだ」

彼の言葉が、僕の胸に深く突き刺さった。

沈黙を破ったのは、唯コーチだった。

唯コーチ「その強さ、トライアスロンのゴール前で絶対に活きるわ。誰にも負けない精神力。それこそが、中野さんの最高の武器よ」


彼女の明るい声が、重くなった車内の空気を和らげる。

植田「そうですとも。極限状態における精神的優位性は、身体的パフォーマンスに直接的な影響を及ぼします。中野選手のその精神力は、我々のチームにとって計り知れないアドバンテージとなるでしょう。はい」

植田さんも頷く。

糸川「私も、中野さんが仲間で、本当に心強いです」

糸川さんも微笑んだ。

中野「へへ・・お前ら、あんま褒めんなよ。照れるじゃねえか」

中野は、いつもの彼に戻って豪快に笑った。

彼の本当の強さと優しさでチームの絆は、また一段と強くなっていった・・・



僕と糸川さん、植田さんをそれぞれの家の近くで降ろし、最後に僕が降りる番になった。 車を降りると、唯コーチも一緒に降りた。

唯コーチ「私、ここで少し歩いて帰るわ」

中野が車の窓から顔を出す。

中野「おう!お前ら、お疲れさん!来年の『島の国』、俺たちが主役になるぜ!覚えとけよな!」

そう言って、中野は力強いエンジン音を残して走り去っていった。



夜風が心地いい。

僕と唯コーチは、二人並んで家路についた。

海「中野さん、本当にすごかったね」

唯コーチ「ええ。でも、海さんが一番に前に出ようとしたのも、私、見てたわよ。海さんも、すごく強い人よ」

彼女の言葉に、僕は緊張をした・・

唯コーチが、少しだけ声のトーンを変えて切り出した。

唯コーチ「そういえば、この前の、相談の話なんだけど・・今度の週末、空いてるかな?」

僕はドキッ!として返事をした。

海「うん。空いてるよ」

唯コーチ「本当!?やったー!」

唯コーチは、ぱっと顔を輝かせた。

唯コーチ「じゃあ、土曜日なんてどうかな?駅前のカフェで、これからの練習のこととか・・色々、話したいなって」

彼女は「コーチとして」という言葉を、付け加えなかった。

海「わかった。土曜日、楽しみにしているよ」

僕がそう言うと、彼女は満面の笑みで頷いた。

唯コーチ「うんっ!」

その笑顔は、夜空のどの星よりも輝いて見えた。

闇の中に光る中野の拳がチームの道を照らしてくれたように、唯コーチの笑顔が、僕自身の未来を、明るく照らし始めている。

僕たちの話は、まだ始まったばかりだ。


つづく…


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